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スポーツ絡み その2

スポーツ絡みでもう一つ

運動タレントの武井壮の方法論
武井壮が語った「スポーツが短期間で上達するコツ」が説得力あり過ぎてスゴい スランプ対策にも

特にここら辺はなるほどなと思う。

・自分の身体を思ったとおりに動かす
・練習時間を短くするためには、真横に上げようとしたときに、真横に上げられればいい。
・試合場へ行って、かっこいい飛び方をしているやつの真似をする。
(ここでは書かれていないようだが、状態を常に最善にしておく事も他では述べている。)

自分の身体を思ったとおりに動かせる、身体の動かし方を知っていれば、かっこいい飛び方をしているやつの真似もできると。
麻雀の上級者が観戦で他者の打ち方を見て対応できる・取り入れる事が出来るのも、麻雀にとってのこれができるからかなと。
つまり麻雀のトレーニングをするなら、麻雀の構造を知って牌を自在に動かせる方向でやるのも一つの手かと。
逆に一つの場にしか対応できない人は縦に伸びているだけの人と。


武井はFacebookでこんな事も述べている。
できるという経験・結果により揺れないメンタルを作ると。
つまり「揺れないメンタル」は言葉だけの精神論ではなく技術と。

武井はもう少しうまく言語化してくれるとかなりいい感じになると思う。
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勝つための欲は無くせるのか?

自分に興味が無い事に対する勝ち負けはどうでも良い事は多い。
例えば小さい子供と遊びでするじゃんけんで負けても悔しがることなどないであろう。
そして以前に興味があっても今では興味が無い事も多いであろう。
その場合も同じように勝ち負けなどどうでも良くなる。
当然これは麻雀での勝ち負けに関しても当てはまる事。
だから麻雀で勝つための欲は無くせる。

ただし麻雀を止めるわけではないので、麻雀への興味は無くさずに勝ち負けの欲求の部分だけ消し去る必要がある。
それは可能か?

陸上選手だった為末大はこのように述べている。
為末氏が語る、努力するためのコツ「卒業文集で宣言しても本田圭佑にはなれない」
ここの【努力し続ける方法は「自分を飽きさせない」】の部分。
つまり、勝敗以外に楽しみを見つける。
大きな目的としては勝つ事なので、勝つ事に繋がる努力の楽しみとなるか。
そして正しい方向性でやる事が必要。そのためにはトレーナーが付く事が理想。

そうする事によって直接的な勝敗から実験がきちんとできるかどうか(実験の結果で無く手順)へ視点がずれるので、打っている最中の勝ちへの欲は薄れる・無くなる。
直接的な目的が別の事になるのだからそれは当然。

正確に言うと、麻雀で勝つための欲を打っている最中に出さない事はできるという事になるか。
当然この為末の説明はそのままトレーニングへの考え方となる。

目的と手段

自分の方向性が明確であるかを確認するための簡単な覚書というか殴り書き。

この前口上も恒例になってきたが、ここで述べている考え方が正しいと主張するわけではない。
「こういう考え方をする奴もいるんだな」程度に読むのが吉。


目的と手段の関係

俺の麻雀の目的はこんな感じ。

・ルールやフィールドが変化した場合の対応力を上げること
・自立した学習法を身につけること etc

分かりやすくいえば、一般的に言うところの「麻雀が強くなる(上位層に入る)こと」だ。

当然に、この目的に合った手法を取る必要がある。
例えば「(個室などで仲間内で)麻雀を楽しむこと」を目的とした手法とは異なってくるであろう。

ここで重要なことは、目的自体は何でも良いということである。
強くなることと楽しむことのどちらが程度が高い・低いとかいう事は一切無い。
目的に合った手段を取らないと目的が達成できない(しづらい)というだけである。

例えば、強くなりたいと思っているのに、結果に対して一喜一憂していては話にならない。結果など気にならないようにする必要がある。
一方で、楽しみたいのならば、結果に対して一喜一憂しても何ら問題は無い(というか、一喜一憂しないと楽しめない?)。強くなる事が目的では無いのだから、いくらブレても問題は無い。
このように、強くなりたいという目的と、楽しみたいという目的は矛盾する。

注意すべき点としては、矛盾しない目的を持つようにする必要がある。
「楽しみながら強くなりたい」というのは矛盾した目的なので、そういう目的を持つことは問題である。


どの程度強くなる事が目的か?

先に述べたように、俺は鳳凰に行く事が目的ではない。
天鳳に例えれば、鳳凰民になるためでなく、鳳凰民の中でトップになる事が目的である。(あくまでも天鳳に例えればであって、目先の段位自体はどうでも良い。)

もしも鳳凰に行くのが目的ならば、実際に弟子を取るなどの形で他者に教えている多くの人達が述べているように、基礎をしっかりやれば良いのであろう。
俺はそうやって鳳凰に行ったわけではないので真偽はわからんが、たぶんその手法で正しいはず。

つまり、ビギナーズラックや、現代麻雀技術論などを理解して実行すると。
重要なのは、それらのサイトに書かれている知識を得る事ではなく「できるようになる」こと。
麻雀の研究者ではなく打ち手として麻雀に関わる以上は、知識などいくらあっても卓上で使えなければ無意味。実際にできてなんぼ。
そして、知識が無くてできないのか、知識があるのにできないかで手法を変える必要がある。
例えば後者の状態で何切るや観戦・検討をやっても効果が無い可能性が高い。それらは一般に知識を得る目的のためのものだから。


鳳凰に行く事が上がりでない以上は、例えば「結果に対して一喜一憂していては話にならない」という事への徹底度も、鳳凰に行ければ良いレベルの比にはならないであろう。


今やるべきことは何か?

自分の目的達成のための、ある程度の体系化された考え方並びにそれをベースとした方法論や手法は、知識レベルでは手に入れることができた。
お膳立ては整っているので、後は実行あるのみと。

具体的には、今やることは素直に打つこと。
牌効率的な観点でのものではなく、全体牌理をベースにした場に沿った素直な打ち方。
基礎中の基礎であるが、これができないことには先に一切進めないので。

執行力に関しては今までどおりでとりあえずOK。


練習環境について

鳳凰卓は自分のミスが試合結果に反映される可能性が非常に高いという点で、練習にはうってつけの場である。
ミスが明確に浮かび上がるし、ミスをしたことによるマイナスの価値が体感できる。
このため、可能な限り鳳凰卓で練習することが好ましい。

ミスの実感を除けば、自分の牌の動かし方に関しては特上でも十分練習可能であると考えている。
全体牌理の面では当然に鳳凰の方が質が上。

受けの手筋

月一のブログネタ用に丁度良いのを発見。

昨日の深夜、アンコロキングによる配信があった。(時間の経過により、現在は視聴不可)

配信に関わる諸々の経緯はアンコロキングのブログにて詳細が書かれている。

召喚されたロリータな焼肉が色々と楽しい状態になるのを(・∀・)ニヤニヤしながら見る配信であったが、その他にも全体牌理や受けの手筋の実例が説明されているので、そのような事に興味がある人は見るといいよ。
アンコロキングに加えて、ゲストで来たロリータな焼肉の解説も分かりやすく非常に質の高いものなので、必見と言って良いかも。


受けの手筋

俺が理解しているはずの範囲で書いてみる。

いつも述べている事だが、こういう考え方もあるよという事であって、この方法が正しいと主張するものではない。


他家のリーチ等の攻めに対して、危険牌を持って来たり、こちらの態勢が整っていない等の状態になった時が受け。
反対が攻め。

・受けと感じた時の例

受けの判断は、理屈でガチガチに考えようとしないで、こんな感じかなと思うのが分かりやすいかも。


1:配信で使われたもの(アンコロキング牌譜)。
この二筒引きあたりで受けへ。
八萬は行けると見ていたとの事。
 
2:俺の例その1、この六筒は対面の当たり牌と強く感じたので受けへ。
 
3:俺の例その2、この八筒引きで受けへ。


重要な事は、受けの状態になった事をまずは受け入れましょうという事である。
それは、ベタ降りをする事でもなく、ヤケになってゼンツをするという事でもない。
素直に、一手遅れになった自分の状態を受け入れる事である。

素直に受け入れるためには、欲があってはいけない。
和了りたいという欲があればゼンツになりがちであり、振りたくないという欲があればベタ降りになりがちである。

この事からも分かるように、欲を無くすとか揺れない心というのは、お題目的な精神論ではなく、勝つために必要不可欠な技術・能力の一つである。


話を戻してと、この受けの考え方であるが、牌理の形が噛み合うかという概念が考え方のベースとなっている。
こちらが攻める事ができる時は、牌理的に形が噛み合うので自分の余剰牌は相手のピースに噛み合わない。
逆に、受けになっている場合は、牌理的に形が噛み合わないので自分の余剰牌は相手のピースに噛み合う。
(持ってきた牌が余剰牌である場合に、それが相手の聴牌形と噛み合う)

つまり、自分の余剰牌が相手の必要牌になる噛み合わせかどうかである。
まっすぐ前に出るのは余剰牌を切っていくこと。
受けるのは余剰牌を抑え、可能なら再構築していくこと。


地球は宇宙の一部である。
まず宇宙があって地球がある。
宇宙の理を無視して地球は動けない。
同様に、麻雀も場を無視して自分の手は動けない。

例えば、麻雀牌は有限個なのだから、その場で4枚使われている牌の5枚目はどう頑張ってもツモってこれない。
また、他家が萬子で染めているならば、萬子は山に少ないであろうし場にも出づらくなるだろうから、自分は萬子で二面子作るのが難しくなるであろう。
この様に、自分の手を基準に考えるのではなく、あくまで全体の中で自分の手はどうなっているのかを考える。


噛み合わせの具体例を出すとこんな感じである。

自分が一筒一筒二筒三筒四筒四筒五筒と持っているとする。

そうなると、自分が一筒四筒を4枚使っているので、他家の手の中に筒子の下がある場合、二筒三筒という形で残りやすい。

つまり、自分の一筒一筒二筒三筒四筒四筒五筒と対になる塔子二筒三筒を持っている他家がいるのではないかと想定できるであろう。

この考え方は非常に重要である。


この状態で、一筒一筒二筒三筒四筒四筒五筒から四筒を切る→相手の二筒三筒一筒四筒待ち)に刺さる。
逆に相手が二筒三筒塔子を外す→こちらの一筒一筒二筒三筒四筒四筒五筒三筒六筒待ち)に刺さる。

他で面子が足りていて、ここから塔子を一つ削って一面子一雀頭にする時には、多くの人は四筒から打つ。
タンヤオ(喰いタン)を視野にも入れた二筒五筒のタンヤオヘッド振り代わりを見るためである。

問題は、ここで四筒を打つと喰われるというイメージができるかどうかである。
下が一筒四筒で苦しんでいないかチェックしてから捨てる。
下が一筒四筒が必要そうなら、鳴いたら喰いタンにならない一筒から切って、最終的に二筒三筒では喰えない五筒を出す。
一筒二筒三筒四筒四筒の形にする。)
もしくは二筒を切って、状況を鑑みて最終的に四筒を出す切り順にすることもある。


相手の手と合わせて最低26枚の牌理で全体のバランスを見る感じである。
こちらの手に余るものが相手の必要ピースである噛み合わせなら、本来なら余る牌を切らないだけである。

この様に、受けの手筋は流れではなく、あくまで牌の噛み合わせをベースとしたものである。

受けなら受けの手筋、攻めなら攻めの手筋と、その時の形に従う。
そうすると不思議と和了れる。
麻雀は不思議なもので、受ける手は受ける方が和了りがある。
受けると和了れなくなるわけではない。降りとは違う。



さてと、上で取り上げた三つの例のその後の推移をそれぞれ見ていくか。

・配信で使われたもの(アンコロキング牌譜)
アンコロキングの解説より。

1:上から出た四筒は鳴かず。
これを鳴くのは攻めの手筋。
今は受けなのだから受けで。
 
2:七萬をツモってテンパイ、そして二筒切り。
もし二筒がフリテンでなければ、三筒を切って二筒待ちにする手もあるが、それは攻めの手筋。
ここは受けなのだから、下の現物である二筒切り。
この様に、ここでも受けの概念が出てくる。
 
3:ツモと。
三筒が当たり牌だと思って止めたわけではない。
受けの手筋で打ったらこうなっただけ。
四筒を喰っていたら、この三筒は下に喰い流れてもいた。


続いて、俺の例。

1:例その1、次巡あっさりフリテンツモ。
読みどおり、対面のリーチの当たり牌だった。
ただし、当たり牌だから止めてこれで和了ってやろうという意識でなく、受けになったから素直に受けただけ。

この手だが、工夫した末に打ち込むならOK。

手牌が行く形になったら行く。
この場合だと、四索六索をツモる、もしくは出たら鳴いて六筒を打つ。

四索六索が来る・出るなら六筒は当たらない。

四索六索が来ない・出ないなら六筒は当たる。
麻雀はそんなものである。
 
2:例その2、次巡八萬をツモって、全体的に見てまだ安全そうな八筒切り。
 
3:索子が来たら索子を生かすが、萬子が伸びたからそれに従って四索切り。
八萬が安牌になってはいるが、何となく素直にテンパイを取った。
 
4:次巡、ツモる。
後で持ってきた、相手の当たり牌の六萬も使い切れている。
 
5:もし、八索西などの安牌だった場合、もしくは安牌になった場合は、その安牌を切る。
最終的に四索単騎になるが、その場合でも二巡後に四索をツモってきて和了れている。
この形になる。六萬七萬八萬四索四索


ここで出した例以外でも、結構こんな感じで和了れてるわけだな、これが。

まあ、こんなやり方もあるという事で。

全体牌理

昨日のトレーニングで解説されたもの。参加者の牌譜より。
東風の収支制。

この六萬を鳴くか、それとも主に索子引き期待で面前で仕上げるか。

20100417_01.jpg 東3-0 10巡目 牌譜
http://tenhou.net/0/?log=2010041623gm-0041-2255-71137211&tw=3&ts=2

この打ち手(NISHI)は六萬を鳴き、理由としては「この六萬を鳴かないと、もう和了れないと思ったから」と述べた。
この件に関するNISHIのブログ記事 全体牌理の記事について

この盤面を見て、俺もその意見に同意した。

じゃ、どんなもんか見ていく。

鳴くとテンパイだが、当たり牌の四萬七萬は既に5枚見え。
しかも2000点。

一方、鳴かないとテンパイへの受けは二索六索だけで5種16枚ある。
テンパイ後の枚数も多い。
リーチで5200確定、ツモや一盃口で満貫になる確率が結構高そう。

ということで、受け入れ枚数重視で考えると鳴かない方が良さげな気がする。


しかし、俺には(そして、この打ち手にとっても)そうは見えなかった。
四萬七萬では、間違いなくと言って良いくらいに和了れるだろうし、逆に索子ではテンパイしないまであるように見えた。
索子の必要牌は両脇が大量に抱えていて山に少ないし、仮にテンパれても和了るのは困難だろうと。

・対面は筒子の染め手だから索子も萬子も無い。
・場が「こういう形」なので、両脇は萬子をほぼ使っていない、仮に使っていてもどちらかが一面子くらいっぽい。
 無論筒子染めの対面も。
 ここは理屈でなく「こういう形」だからそう見えた。
・自分も索子をそれ程持っていないのに、場に索子がほとんど出ていない。
・場が「こういう形」なので、両脇の手は索子の下~中がメイン、つまり自分が欲しい二索六索メインで、筒子が一面子はありそうくらいの状態。
・こういう状態なので、四萬七萬は掴めばどこからでも出る、そして山にある。
・索子がこんな良い形なのに何巡も動かないでそのまま。

理屈でそれっぽく説明できるように見えるが、実際は盤面を見るとそんなのがパッと見える・気づく感じ。

この様に、自分の手と河だけで考えないで他家の手(と山)も組み込んで考える、つまり全体牌理で捕らえた。
自分の手と河だけ見て単純に「残り何種何枚だから~」で考えると、罠に嵌りかねない事もある。

全体牌理としては今回は物凄く分かりやすく見やすいので、例としては良さげだと思う。


手牌を開くとこう。

20100417_02.jpg

見立て通り、六萬を鳴けば強く和了りが見え、索子期待では和了れなさげな状態。
両脇が索子の必要牌をガッチリ持っている。
そして鳴いた直後に下家が七萬をツモ切って和了り。

対面の倍満も潰す見事なかわし手でもあった。
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