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エニグマ解明のための下準備

一連のエニグマの話は俺の経験によるものである。
これが唯一正しいものであると主張するものではない。
というか、そもそもこれが正しい・妥当なのかは知らん(キリッ
これは一つの方法論であると勝手に思ってはいるけどな。

言うまでも無く、他にも色々な方法論やアプローチがあると思うよ(・∀・)


【「エニグマを解明すること」の定義】

エニグマを自分の体で理解して実行できるようにする事。
つまりエニグマを身に付けて自分のモノとして使えるようになる事。

言語化して第三者が理解できるようにする事や、頭での理解ができればそれで満足というものではない。

これは俺の目的とイコールの定義である。
俺は麻雀研究者ではなく打ち手なのだから、実際にできてなんぼと。
勿論、言語化目的の人がいても良いであろう、というか是非誰かやってw


【説明することに関して】

前回述べた「説明する事は難しい」という事に関してもう少し考える。

基本的に麻雀打ちは自分の打ち方に関する説明を他者にする必要などない。
打てれば良いだけである。
使わない能力は衰えるし能力が高くなる事も無い。
だから普通は説明能力は低い・無いであろう。

自分の打ち方に関する情報発信をしようとしなければ、この能力が無くても何も困らないし、何も問題が無い。
当然に説明能力が低い・無い事に関して他者が批判する事など論外である。
最近はブログ・SNS・Twitter・配信・検討会などがあるので、そこに自分が参加していると「自分の打ち方に関して説明できて当然」というように、つい勘違いしやすくなるけどね。


次に、使われる「言葉」についてである。
今説明したように麻雀界には説明するという文化が無いので、説明するための「環境」が整っていない。
例えば説明の際に使われる共通の「言葉」が整備されていない。

一つの言葉が複数の意味に使われて、説明者と説明を聞く者の間でその共通認識がなされていないことが多々ある。
Aの事を表現する際に「流れ」として用いる人もいれば、BやCの事を「流れ」と表現する人もいる。
言葉として表に出てくる際には全て「流れ」という言葉になってしまうが、意味は説明する人によって異なる事も多い。

説明する本人は、そもそも言葉にしなくても説明しようとすることは「分かっている」。
そのため、ゴチャゴチャと細かく口にしなくてもそれで済む。
例えば「流れが悪いので・・・」で済む。

しかし聞く側にとっては、文字通り「流れ」が「悪い」と捉えがちなので、意味が分からなかったり矛盾した内容になってしまう。
説明する文化が無い以上は説明を聞く文化も無い。だから聞く側も「訳の分からない事を言われた」という状態で終わってしまう。
もしくは言葉が持つ「一般的な意味」を持ち出して対応、大抵は批判であろうが、をする。

こうして相互に話が通じないままで終わり、お互いにとっての不毛な経緯と結末は便利な「オカルト」というゴミ箱に捨てられる。
しかし、このゴミ箱は説明を受ける者にとって都合が良いだけであり、説明者にとってのゴミ箱が無いために説明者は不満(理解されない、分からないと文句を言われる・馬鹿にされる等)が溜まるだけである。
その結果、説明者によりエニグマが語られる事も減っていく。


【エニグマの解明方法】

ここまで書けば、何をすれば良いかは明白であろう。

「説明者と説明を受ける者が、相互にまともに『お話』ができれば良い。」

エニグマの解明方法は簡単に言えばこれだけである。
(゚Д゚)ハァ?と思われるかもしれないが、これがキモだ。

そのためにはどうすれば良いか?
説明者と説明を受ける者の間で雑談をたくさんすれば良い。つまり適当にくっちゃべっていればエニグマは解明できる。
正確に言えば「これがエニグマの解明への糸口になる。解明のための重要な要素である」かな。

言葉で書くと簡単にできるように見えるだろうが、できる人がそうはいないっぽいということは簡単にできない(であろう)ということだ。
そういえば、シンプルに書くと簡単にできそうに感じられる事も「言葉」の特性だな。


解明に関する具体的な話は次回ということで。
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エニグマ ~強者の知られざる技能~

【オカルトについて】

麻雀界にはオカルトという言葉がある。
オカルトの定義は色々あるようだが、大まかに言えばこのようなものであろう。

1.説明されない・検証できない戦略・戦術・概念の総称
2.「流れ」などの怪しげな(明らかに間違っていると思われるものを含む)戦略・戦術・概念の総称

これに関してはいちかわがtwitter上で上手い表現をしているので使わせてもらう。

凸本を読んだことはないけど、彼が「流れは概念のごみ箱」とうまいこと言ってるのは知ってる。俺に言わせれば「オカルトという言葉」が概念のごみ箱だ。

まさにその通りで、「オカルト」という言葉には一般的に扱いづらいものが全て詰め込まれている。
その中には、強者が用いている一般には分かりづらい戦略・戦術・概念も含まれている。


【強者の知られざる技能について】

この「強者が用いている一般には分かりづらい戦略・戦術・概念」に関してであるが、これは確かに存在はすると考えている。
「説明されないから無い(存在しない)」とは言えない。

行動を言語化して他者に分かりやすく説明することは、思っている以上に難しいことである。
試しに自分の行動を詳細に記述してみれば分かる。
座っている状態から立ち上がる行動でも良い。
足のここの部位の筋肉にこれくらいの力を加えて、それを何秒間維持し、同時に膝の関節をこう動かし・・・と書いていってみれば分かるはずである。
意識せずにできることも言語化すると一気に困難になる。

これは麻雀に関しても同様である。
高度にそして複雑になるにつれて説明は困難になるであろう。
そしてそれを無理に説明しようとすると意味不明、もしくは矛盾に満ちた説明になりがちである。
その結果、強者の知られざる技能は往々にしてオカルトというゴミ箱へ放り投げられてしまう。


【強者の知られざる技能を「ゴミ箱」に捨てずに済む方法はあるのか?】

説明がめんどくせえからtwitterに書いたのを載せる。一部追加修正している。

オカルトという言葉は強い人間が自分達の強さを解析されないために作り上げたもののような気もする今日この頃、いや、妄想だけどさ。オカルトだからで思考停止している人は物凄い多いと思う。オカルトはアポカリプスできる。

オカルト=隠されたもの、アポカリプス=解明する(覆いを取る)こと です

いちかわさんが述べられたように、強いやつは結局まっとう、そのまっとうさの延長上に普通の人がぱっと見では理解できない「強さ」があるはず。それが本物のオカルト。

自分だけ理解できりゃ良いなら、オカルトはアポカリプスできることも多々ある。必ずしも言語化する必要は無し。価値観というかイメージの共有で言語化の代わりになる。逆に言語化がアポカリプスの妨げになることもある。

いちかわさんのブログ記事はオカルトをアポカリプスするために非常に役立つ。でも人によってオカルトへの接点は異なるはずなので、自分が使いやすい接点を探すのが吉。

ということで、やり方はあると思っている。


【エニグマ】

そもそもオカルトという言葉が良くねえな。特に麻雀界では言葉に変に色が付いちまっているから別の言葉にする方が良さげだ。mysteryでも良いがこれはこれで別の意味が主流だしなあ。

とtwitterに書いたところ、いちかわから「エニグマ」はどうかという提案があった。
ふむ、エニグマ暗号機のエニグマか。

調べてみるとenigmaは以下のような意味である。

1 なぞ;なぞ絵;なぞめいた言葉.
2 不可解な出来事[状況]
3 なぞの人[もの];正体のつかめぬもの.

謎という以外にも「正体のつかめぬもの」という意味が込められているので良さそうだ。
ということで、強者が用いている良く分からない技能の事はエニグマと呼ぶ事に決定。

わざわざ言葉を決めたのは、エニグマの概念を従来の「オカルト」と区別することが目的である。名実共に独立させてしまわないと、従来の「オカルト」に引っ張られて解明に支障が出る事が容易に想定されるためである。

そういえば史実ではエニグマ暗号機は解読されたので、エニグマを解明したい側としては「エニグマ」という言葉は縁起の良い言葉かもしれないw

※エニグマの解明について等、この記事の続きはエニグマ インデックス

目的と手段

自分の方向性が明確であるかを確認するための簡単な覚書というか殴り書き。

この前口上も恒例になってきたが、ここで述べている考え方が正しいと主張するわけではない。
「こういう考え方をする奴もいるんだな」程度に読むのが吉。


目的と手段の関係

俺の麻雀の目的はこんな感じ。

・ルールやフィールドが変化した場合の対応力を上げること
・自立した学習法を身につけること etc

分かりやすくいえば、一般的に言うところの「麻雀が強くなる(上位層に入る)こと」だ。

当然に、この目的に合った手法を取る必要がある。
例えば「(個室などで仲間内で)麻雀を楽しむこと」を目的とした手法とは異なってくるであろう。

ここで重要なことは、目的自体は何でも良いということである。
強くなることと楽しむことのどちらが程度が高い・低いとかいう事は一切無い。
目的に合った手段を取らないと目的が達成できない(しづらい)というだけである。

例えば、強くなりたいと思っているのに、結果に対して一喜一憂していては話にならない。結果など気にならないようにする必要がある。
一方で、楽しみたいのならば、結果に対して一喜一憂しても何ら問題は無い(というか、一喜一憂しないと楽しめない?)。強くなる事が目的では無いのだから、いくらブレても問題は無い。
このように、強くなりたいという目的と、楽しみたいという目的は矛盾する。

注意すべき点としては、矛盾しない目的を持つようにする必要がある。
「楽しみながら強くなりたい」というのは矛盾した目的なので、そういう目的を持つことは問題である。


どの程度強くなる事が目的か?

先に述べたように、俺は鳳凰に行く事が目的ではない。
天鳳に例えれば、鳳凰民になるためでなく、鳳凰民の中でトップになる事が目的である。(あくまでも天鳳に例えればであって、目先の段位自体はどうでも良い。)

もしも鳳凰に行くのが目的ならば、実際に弟子を取るなどの形で他者に教えている多くの人達が述べているように、基礎をしっかりやれば良いのであろう。
俺はそうやって鳳凰に行ったわけではないので真偽はわからんが、たぶんその手法で正しいはず。

つまり、ビギナーズラックや、現代麻雀技術論などを理解して実行すると。
重要なのは、それらのサイトに書かれている知識を得る事ではなく「できるようになる」こと。
麻雀の研究者ではなく打ち手として麻雀に関わる以上は、知識などいくらあっても卓上で使えなければ無意味。実際にできてなんぼ。
そして、知識が無くてできないのか、知識があるのにできないかで手法を変える必要がある。
例えば後者の状態で何切るや観戦・検討をやっても効果が無い可能性が高い。それらは一般に知識を得る目的のためのものだから。


鳳凰に行く事が上がりでない以上は、例えば「結果に対して一喜一憂していては話にならない」という事への徹底度も、鳳凰に行ければ良いレベルの比にはならないであろう。


今やるべきことは何か?

自分の目的達成のための、ある程度の体系化された考え方並びにそれをベースとした方法論や手法は、知識レベルでは手に入れることができた。
お膳立ては整っているので、後は実行あるのみと。

具体的には、今やることは素直に打つこと。
牌効率的な観点でのものではなく、全体牌理をベースにした場に沿った素直な打ち方。
基礎中の基礎であるが、これができないことには先に一切進めないので。

執行力に関しては今までどおりでとりあえずOK。


練習環境について

鳳凰卓は自分のミスが試合結果に反映される可能性が非常に高いという点で、練習にはうってつけの場である。
ミスが明確に浮かび上がるし、ミスをしたことによるマイナスの価値が体感できる。
このため、可能な限り鳳凰卓で練習することが好ましい。

ミスの実感を除けば、自分の牌の動かし方に関しては特上でも十分練習可能であると考えている。
全体牌理の面では当然に鳳凰の方が質が上。
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